2016/09/18

悪口を言って、私たちは幸せになるのか?







先日、1人でランチに行ってきました。


カフェは女性で溢れかえっていました。


のんびり食べていると
隣の席の女性2人組の会話が耳に飛び込んできます。






なんと会社の方の悪口のオンパレード・・。



どうしてあんなことするの!?信じられない。」


「仕事できなさすぎて見てられない。」


(久しぶりに聞いた悪口…)


早めにささっと食事を済ませ、店をあとにしました。






私は、悪口は好きではありません。


なぜなら、悪口を言っている人の顔は、幸せそうではないからです。


悪口を笑顔で、心からリラックスして幸せそうに語る人を、私は見たことがありません。

客観的に見ていると、本当に苦しそう。





でも私たちは、決して苦しくなりたくて悪口を言うわけではないと思います。

苦しさから解放されたくて、言うんですよね。







おそらく、あの女性2人組も、人生に納得いかないことがあるから、ついつい悪口を言っているのでしょう。


「どうしてあんなことするの!?信じられない。」

「仕事できなさすぎて見てられない。」

きっとその人は、仕事に対する愛や熱意があるんですよね。
だからこそ、そうではない人(もしくはそうではなく見える人)が、許せない。






ですが、悪口は、一瞬のはけ口。



悪口は、言えば言うだけ苦しくなる。



悪口は、マイナスの面を余計に自分に際立たせてしまうからです。










だから、悪口を言っても、大きな流れで見ると、自分はその苦しさからは解放されていないのです。






では、試しに悪口を我慢してみるのはどうでしょう。


もちろん、一時的にはモヤモヤするでしょう。


このモヤモヤから解放されたい!と苦しむでしょう。



でも、だからこそ、その苦しさから解放されるために、自分なりの解決策を見つけるようになるのだと思います。









つまり悪口を言わないことで、

自分と向き合うようになる。



精神的に成熟し、いまやるべきことが分かる。


速度を上げて成長していく。





こんな素晴らしい効果が出ると、私は思っています。




一時の楽を求めて悪口を言うのか?


一時はつらくても自分を成長させるのか?



悪口1つをとっても、人生に大きな影響がある。何を選ぶかは、どんな時も自分なのですね。



(でも100%の人間なんていません。どうしようもない時は、近しい人に、愚痴でもなんでも言ってしまっていいと思います。ポイントは、最後、自分にベクトルが向くこと。日常会話の一環のように悪口を言うのは、違うなあと思うのです。)


             Chihiro
 




-「与える喜び」が心に沁み込む!-

第1話 ○「おく村さん」と出会う。
第2話 ○3ヵ月後、再会する。
第3話 ○Tiffanyでの出会い。
第4話 涙の再会。
第5話 ○そのほか、小さいあんなことやそんなこと。←次回は、こちらです。
第6話 ○「与える」が生み出す奇跡。
第7話 ○「もらう」と「与える」の関係性。


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