先日、1人でランチに行ってきました。
カフェは女性で溢れかえっていました。
カフェは女性で溢れかえっていました。
のんびり食べていると
隣の席の女性2人組の会話が耳に飛び込んできます。
隣の席の女性2人組の会話が耳に飛び込んできます。
なんと会社の方の悪口のオンパレード・・。
「どうしてあんなことするの!?信じられない。」
「仕事できなさすぎて見てられない。」
(久しぶりに聞いた悪口…)
早めにささっと食事を済ませ、店をあとにしました。
私は、悪口は好きではありません。
なぜなら、悪口を言っている人の顔は、幸せそうではないからです。
悪口を笑顔で、心からリラックスして幸せそうに語る人を、私は見たことがありません。
客観的に見ていると、本当に苦しそう。
でも私たちは、決して苦しくなりたくて悪口を言うわけではないと思います。
苦しさから解放されたくて、言うんですよね。
おそらく、あの女性2人組も、人生に納得いかないことがあるから、ついつい悪口を言っているのでしょう。
「どうしてあんなことするの!?信じられない。」
「仕事できなさすぎて見てられない。」
きっとその人は、仕事に対する愛や熱意があるんですよね。
だからこそ、そうではない人(もしくはそうではなく見える人)が、許せない。
ですが、悪口は、一瞬のはけ口。
悪口は、言えば言うだけ苦しくなる。
悪口は、マイナスの面を余計に自分に際立たせてしまうからです。
だから、悪口を言っても、大きな流れで見ると、自分はその苦しさからは解放されていないのです。
では、試しに悪口を我慢してみるのはどうでしょう。
もちろん、一時的にはモヤモヤするでしょう。
このモヤモヤから解放されたい!と苦しむでしょう。
でも、だからこそ、その苦しさから解放されるために、自分なりの解決策を見つけるようになるのだと思います。
つまり悪口を言わないことで、
自分と向き合うようになる。
↓
精神的に成熟し、いまやるべきことが分かる。
↓
速度を上げて成長していく。
こんな素晴らしい効果が出ると、私は思っています。
一時の楽を求めて悪口を言うのか?
一時はつらくても自分を成長させるのか?
悪口1つをとっても、人生に大きな影響がある。何を選ぶかは、どんな時も自分なのですね。
(でも100%の人間なんていません。どうしようもない時は、近しい人に、愚痴でもなんでも言ってしまっていいと思います。ポイントは、最後、自分にベクトルが向くこと。日常会話の一環のように悪口を言うのは、違うなあと思うのです。)
Chihiro
第1話 ○「おく村さん」と出会う。
第2話 ○3ヵ月後、再会する。
第3話 ○Tiffanyでの出会い。
第4話 ○涙の再会。
第5話 ○そのほか、小さいあんなことやそんなこと。←次回は、こちらです。
第6話 ○「与える」が生み出す奇跡。
第7話 ○「もらう」と「与える」の関係性。
第2話 ○3ヵ月後、再会する。
第3話 ○Tiffanyでの出会い。
第4話 ○涙の再会。
第5話 ○そのほか、小さいあんなことやそんなこと。←次回は、こちらです。
第6話 ○「与える」が生み出す奇跡。
第7話 ○「もらう」と「与える」の関係性。
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